祭囃子は遠く、

祭囃子は遠く、

無職のハッピーエヴリディを書いていきます。

考えるって難しいね

雑記

考えるって何でしょう。何か創作しているのか創作の準備をしているのか、すごく抽象的なものに思えてきます。現在、今まであんまり触れなかったような問題を問いているんですが、思考時間が作業時間をはるかに上回っています。

ふと、今まで自分はどういうプロセスで”理解”してきたのだろうと考えました。小学校では九九を覚えるために、ひたすら暗唱をする時間があった気がします。
詳しくは記憶にありませんが、おそらくきっと9+9+…+9=81という演習問題をやってから「くくはちじゅういち」という答えを暗唱していたのだと思います。
答えを覚えるというのは、ある意味一番強力だと思っていて、それは思考なしに答えが出るようになるからです。
フルマラソンを走った後であろうと、40度の熱が出ていようと、たいていの人は9*9=81という答えを導き出すことができます。理由は先ほど述べた通り思考がいらないからです。

結局学習に何が大事なのかって色々あると思うんですが、本質的には”記憶”にあるような気がします。
じゃあ教科書一字一句全部覚えたやつが一番賢いのかというとそんなことはなくて、それは記憶の仕方が(おそらく)よくなさそうです。
メモリに例えると、教科書の記憶がメモリ空間上の適当(悪い意味)な場所にあって、アクセスにも時間かかるし、体系的に想起することもできないような状況になっていそうです。
体系的に学ぶということは、関連するものを隣接したアドレスに書き込んでいくようなイメージでしょうか。
おそらく脳みそはもっと高次元なつながり方をしているので、そんな単純にマップできるかわからないですし、ちゃんと調べていってるわけではないですが大きく外れてるという気もしません。
”理解している”と”知っている”の違いはこの辺にあるのかなぁと思っています。結局考えている状況は関連していそうな記憶を”思い出して”いる状況なのかもしれません。それが遠いのか近いのかはその人次第です。

話がそれましたが、いま僕はおそらく九九に立ち向かっている状況です。確かめれば本当にそうなっていそうなのはわかるけど、答えを覚えることも大事な時期、ということです。
まだいろんな知識がぷかぷかと浮いているような感覚で、それらを繋げてくれるような背景も僕にはありません。今までさほど頑張らなかったので。
でも、今はとにかく考えて何か使える知識はないかと思い出したり、昨日やったことを結び付けて覚えていく作業をしたりしています。
思い出す作業はもちろん具体的なモノが仕上がっていく過程ではないので、すごく焦ります。しかも、この作業は自分が今までさぼったツケを払った後にやっと本質的な難しさに触れることができるので、余計につらいです。
しかし、学習は最初のつらい期間を抜ければ一気に世界が広がっていく感覚を得られる、ということもまた理解しているので今はとにかくやるしかないのです。